1月放送分
松前街道〈外ヶ浜通り〉(2)今別・平舘 (2004年1月3日放送分) |
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今別は海峡の荒波で育った真昆布の積み出しで栄えた湊です。かつての与茂内の浜は「昆布浜」と呼ばれ、その昆布は長崎俵物となり上海へ輸出されました。昆布の養殖を広めたのが本覚寺の五世貞伝上人でした。本覚寺境内の青銅の塔婆は、秋田や松前からも寄進を集めて立てられ、現在の建物は明治の末から大正の初めにかけて小樽に移住した網元の鰊御殿を移築したものです。今別から平舘を経て蟹田へ向かう街道では、上方からの商人や、富山の薬売り、旅芸人も行き来していました。
松前街道は、ほぼ現在の国道280号線にあたります。狭く曲がりくねった奥平部地区海岸線の拡幅工事、バイパス整備によって便利になりました。鉄道の駅に隣接した「道の駅いまべつ」は、道路と鉄路の利用客で賑わっています。
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松前街道〈外ヶ浜通り〉(3)蟹田・蓬田 (2004年1月10日放送分)
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蟹田は扁柏材の積出港として栄えた港です。小国や蓬田には扁柏山があり、鴻池の千石船もその材木で造られていました。蟹田の町には人足が集まり、酒屋もあったといいます。蟹田から蓬田にかけての浜は砂鉄や塩の産地だったため、製鉄も行われていました。田中吉兵衛家は海運と漁業で財を成し、その「鰊御殿」は小樽にも残っています。蓬田の正法院には、二百年前に寺子屋を開いた中村弥次右衛門の顕彰碑があります。
かつての松前街道だった陸奥湾海岸線を走る国道280号線は、道幅も狭く曲がりくねっているため、青森〜蟹田間でバイパスの整備が進められています。このうち青森〜蓬田間はすでに完成しており、引き続き蟹田までの早期完成を地域の人々は願っています。
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松前街道〈外ヶ浜通り〉(4)油川 (2004年1月17日放送分)
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羽州街道と松前街道が合流する油川は、外ヶ浜一番の湊町でした。沿道には商人たちの並ぶ街並みが形作られました。慶長13年(1608年)に開かれた浄満寺は、外ヶ浜で最も古い寺です。ここに油川を開いた奥瀬一族の墓と青森開港奉行・森山弥七郎の供養碑があります。
かつての松前街道は、ほぼ現在の国道280号線にあたります。国道280号線は青森と外ヶ浜を結ぶ主要な幹線道路ですが、道幅も狭く曲がりくねっているため、交通の流れがスム−ズでない区間があります。現在の青森〜蓬田のバイパスが蟹田まで延長されれば、外ケ浜への交通アクセスは一段とスムーズとなり、北海道と物流等を結ぶフェリー利用者にとっても大変便利になります。
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羽州街道(1)矢立峠 (2004年1月24日放送分) |
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羽州街道は秋田藩領から矢立峠を越え、津軽に入ります。この峠の秋田側・大館市松原には、中世のころ「矢立廃寺」がありました。羽州街道は、秋田杉の原生林を行く山中の古道です。明治天皇の巡航に際し造られた新道も今は鬱蒼たる森の中にあります。碇ヶ関の関所は、天正18年(1590年)、矢立の関を移したものです。ここで矢立峠越えの道が小坂からの街道と合流します。碇ヶ関は交易の要の土地だったのです。
現在の国道7号線の基礎は明治25年に整備されました。白河から平泉を経て津軽や南部に至る「奥の大道」は、中世の「みちのく」に大きな繁栄をもたらしていました。青森と八戸が高規格道路で結ばれることで、現代においても地域の活性化につながるものと期待されています。
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羽州街道(2)碇ヶ関・大鰐 (2004年1月31日放送分) |
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羽州街道は、矢立峠から津軽藩領に入り、碇ヶ関・大鰐を経て弘前城下に至ります。碇ヶ関の古懸山不動院国上寺は、大鰐の阿闍羅山にあったものを北条時頼が移転再建したお不動様です。大鰐の神岡山大円寺は、国分寺であった阿闍羅山の大安国寺の「大日さま」を祀っています。この如来像は、密教の様式を伝える津軽最古の仏像です。阿闍羅山は、真言密教の山伏たちが集まる修験の霊場で、多くの寺院があったと伝えられています。
羽州街道は、ほぼ現在の国道7号線にあたります。沿道の碇ヶ関や大鰐には関所や代官所があり、湯治場として賑わっていました。碇ヶ関には「道の駅いかりがせき」があり、名物の自然薯を使ったラーメンや温泉でのひと時が楽しめることから大変賑わっています。
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